王城屋上。
ユマは全身傷だらけとなっている。
シュレイも幾つか傷を負い、さすがに疲労してきたのか、動きが鈍くなっていた。
「これまでかな、お嬢ちゃん?」
勝ち誇ったトヒルの台詞。
さもあろう、逃げ出そうとすれば不可視の壁で通せんぼされ、戦おうにも今のユマには、その手段がない。
完全に遊ばれていた。
「せっかく出会えた御同輩に、この様な事はしたく無かったのですがね。」
トヒルは勝利を確信し、余韻に浸っているようだ。
「何を今更って感じね。」
ユマの言葉に元気が無い。
「今更で申し訳ないが、今一度考え直して私に組する気は無いかな?
同輩を殺したくはないのだよ。
同じ仲間がいたことの喜びは、お嬢ちゃんにも分かってもらえると思うが。」
トヒルの言葉にユマは驚いた。在り得ないこと口にしたのだ。
そのことでトヒルの言葉は、本心を見せているとユマは思った。
確かに、初めて会った同類だ。ユマにも一緒にお喋りしてみたい気持ちはある。
あちらのことだ。
他に言い様の無い空間に時間、引力の感覚。普通の人には信じてもらえず、また分かってもらえない。
その寂しさ、孤独感、ユマにも痛いほど良く分かる。
それだけにトヒルの仲間になる事は出来ない。
彼は、分かっていないのだ。この呪いの本質を。
今の言葉でユマは確信した。
「それなら、おっちゃんがあたしの仲間になるってのはどう?
今すぐ馬鹿げた計画を止めて、あたしたちに協力するってのは?」
ユマの切り返しにトヒルの表情が一変する。
「ふざけたことを言うな!我らは超越者なのだ。
下等な人間どもに、そのことを知らしめてやらねばならん!」
憤慨するトヒルに溜息を吐くユマ。
「おっちゃんがそう思いたい気持ちは分かるけどねぇ、超越者ってのは……。
大体そんなんじゃ、一生呪いが解けないよ。」
ユマの言葉に突如、笑い出すトヒル。
「くっくっく……、お嬢ちゃんがどうして、そこまでお人好しなのか、漸(ようや)く分かったわ。呪いを解くことができると思っておるとはな……。」
そう言って笑いが止まらない様子のトヒル。
その様子を頬を膨らまして見ていたユマの視界の片隅にチルの姿が目に入った。
チルが戻ってきたのだ。
ユマは素知らぬ風を装い、こちらに回り込もうとしているチルに待ったをかける。
勝ち誇ったトヒルの余裕によって、思いもかけぬ話し合いが成り立っている。この機会に説得出来るものなら説得したい。
「できるわよ!きっとできる。呪いを解く方法を見つけてみせる。
おっちゃんも一緒に探そ。ねっ、その方が絶対楽しいよ。」
ユマの誘いの言葉にトヒルは頭(かぶり)を振る
「分かっておらんな。あちらでも知りえない物が、この世にある訳ないだろう!」
答えたトヒルを悲しげに見つめるユマ。
トヒルはチルに気付いてはいない。
まだだ。説得の糸口を懸命に模索するユマ。それにトヒルに聞いておかなければならない事もある。
「じゃあさぁ、姫様に掛けた呪いも解く方法がないわけ?
あちらでも分からなかったけど?」
賭けにでたユマ。ないと言われれば終わりである。
はたして、ユマの問いかけにトヒルの表情が動いた。
手応えありだ。
「あちらで見えるものが、すべてじゃないんじゃない?」
たたみかけるユマ。
「しかし、だとしても、恨みは消えん!」
トヒルの答えはユマの期待と違っていた。
説得は難しいようである。時間もない、とりあえずユマは本来の目的を果たすことにした。折角、相手が乗ってきた機会である。逃すわけには行かない。
「姫様に掛けた呪いって、どうやったら解けるの?解く方法はあるんでしょ?」
単刀直入にユマは聞いてみた。今までの流れを読んでのこれも賭けである。
「聞きたいか?」
思わせぶりなトヒルの態度。
トヒルに意地悪い笑みが浮かぶ。
「父親を殺すことだよ。裏切る事の無いように、そう仕掛けておいた。
勿論アムジカも知っておる。知っておらねば意味がないからな。」
意外とあっさり答えた内容は、かなり辛辣なものであった。
「……やってくれるはね。ちょっと、ひどいんじゃない?」
「アムジカも歴(れっき)とした王族の一員だよ。復讐相手のひとりだ。」
「巻き込まれる国民はどうなのよ。彼らも王族なわけ?」
「所詮、下等な人間。どうなろうと知ったことか。」
その言葉にカチンときた。
「ちょっと、さっきから、その下等な人間ってのやめてくれるぅ!」
ユマの怒鳴り声を合図にチルが物陰から飛び出した。
息もぴったり、駆け抜けざまに跨るユマ。
それを見たトヒルに怒気が膨らむ。
「おのれぇ、時間稼ぎだったのか。相棒を待っていたとは!」
吼えるトヒル。
「失礼ね!あんたが反省するのを待ってたのよ!」
トヒルの周りを旋回しつつ、言い返すユマ。
トヒルも白虎に跨る。その瞬間、憤怒の炎が見えた気がした。
人間不信に陥っている者が騙されたと認識すると通常より怒りの度数が上がる。
今度は、本気を出してくるだろう。だが、ユマも黙ってやられる気はない。
察したシュレイが退(さが)る。
「最早、容赦はせぬぞ!!」
「それは、こっちの台詞だい!」
先制して白虎が火線を吐いた。火線が旋回して走るユマたちの後を追って薙いでいく。
火線から逃げつつ、ユマがこぶし大の光球を数個生み出す。
降り注ぐ光球。白虎の前で弾ける。
白虎とトヒルが炸裂する光りに包まれた。
火線が止(や)み、白虎の咆哮が響く。
「シュレイ!槍を!」
ユマの言葉に十字槍を投げ渡すシュレイ。
飛んでくる十字槍を頭上で掴(つか)まえ、小脇に抱えると光に包まれた白虎に向かって突進するユマ。
「ただの目眩(めくら)ましなど!」
炸裂する光りの中から伸びるトヒルの両腕。
突っ込んでくるユマの軌道を読んで襲い掛かる。
「そんなの、もう見飽きたぁ!」
叫びつつ十字槍を巧みに操り、腕を絡め取ると槍を小脇に抱え、そのまま白虎へ突撃。
手応えなし。光の明滅が収まる。
「おにょれぇ、かわされたー。」
十字槍に絡まるトヒルの腕を振り払うユマ。ロバの手綱を引き、倒れ込むように馬首を翻(ひるがえ)す。
そこに白虎が牙を剥き、襲い掛かってきた。
「きゃあ、チルよけて!」
白虎は、俊敏な肉食獣ならではの動きで噛み付き、爪で引っ掻いてくる。
跳び退(すさ)り、右に左にと飛び跳ねて必死にかわすチルだが、全てをかわしきれず、ついに白虎の右爪がチルの脇腹を薙(な)いだ。
「チル!」
前足を振り上げ嘶(いなな)きを上げるチル。
すると、その勢いを利用し、前足で白虎のこめかみを蹴り付けた。
白虎の頭部が大きく傾(かし)ぐ。その間隙をつき十字槍で白虎の首を狙うユマ。
「させん!」
白虎の背にいるトヒルの両腕が伸びてくる。
「ちっ。」
軽く舌打ちして、白虎から距離を取るユマ。
「もう!仕切り直しじゃない。」
ここは、何とかトヒルを白虎から引き離したいところである。
そのユマに腕を伸ばし、掴みかかるトヒル。
「ほんとにやること変わんないわねぇ」
間合いを取って避けようとしたユマに閃(ひらめ)くものがあった。
ユマは、敢えて腕を避けず、十字槍の柄を掴ませる。すると案の定、そのまま引き寄せようとするトヒル。
「しめた!」
引っ張られる力に乗って、瞬時に加速するロバ。
「なんと!」
目を瞠(みは)るトヒル。
そのトヒルへ、襲い掛かる白虎よりも早くぶちかましをかける。
十字槍の柄がトヒルの首に掛かり、勢いに乗って白虎の背から引き剥がした。
「よっしゃあ!」
気合一発、ロバに拍車をかけるユマ。トヒルは十字槍の柄を首に食い込ませ、脇に抱え込んでいる。
苦悶の表情のトヒル。十字槍の柄に首吊り状態なのだ。
追い縋(すが)白虎にシュレイが割って入るのを見たユマ。
「これで後は、こっちのもんね。シュレイ、しばらく白虎の相手をお願い。」
そこで突然、足元の屋根が砕けた。トヒルが不可視の力を放ったのだ。
崩れ落ちる屋根に巻き込まれるユマたち。
「きゃああああああ」
屋根が抜け、階下に落ちる。落ち際(ぎわ)トヒルを放してしまうユマ。
チルのお陰で、なんとか着地したところに白虎が降ってきた。
十字槍で身を庇うが衝撃で床に叩きつけられるユマとチル。
そこにトヒルの不可視の力。
今、チルとユマは離れている。
ユマの全身に打ち付けられる衝撃。床を砕いて諸共に階下へ。
それは、通用口から謁見の間にゲンジが顔を出したときであった。
天井が爆音と供に崩れ、見ればユマが落ちてくる。
「ユマっ!」
慌ててユマを抱きとめに走るゲンジ。
どうにか間に合い上手(うま)く抱きとめたが、天井の石材が降り注いでくる。
ユマを庇(かば)いつつ部屋の隅へと身をかわすゲンジ。
ユマは、ぼろぼろの状態である。
大量の石材が降り注ぐ中、白虎に跨ったトヒルが降りて来た。
「おのれ小娘ぇ、今、ぶち殺してやる!」
屈辱の余り、我を忘れているトヒル。
謁見の間には、他にも結構な数の人間がいた。城詰の兵士や文官たちである。
「なんだ?何がどうなっている。」
「ば、ばけもの!」
「あれは、さっきの白虎だぞ。」
先刻の騒ぎで駆け付けた人たちであった。
突然の状況に対応出来ずに右往左往するばかりだ。
その者たちへ白虎が火線を吐く。
何が気に障ったのか、最早(もはや)見境がない。
「死ね、死ね、独り残らず死んでしまえぇー。」
トヒルの哄笑が鳴り響き、人々が火線に焼かれていく。
その白虎にチルとシュレイが天井から体当たりを使掛ける。
しかし、トヒルの不可視の壁に為す術なく弾き跳ばされてしまう。
アムジカ王女とイキが見たのは、丁度その瞬間だった。
謁見の間は炎に煽られ、見るに耐えない惨状である。
火の海の中でトヒルは白虎に跨り、ひとり悦に入っていた。
広間の隅にユマの姿があった。傷ついた体を引き摺ってロバに跨る。トヒルたちと戦おうとしているみたいだ。
アムジカはふと、先刻のユマの言葉を思い出した。
(トヒルと白虎を一緒にしたら駄目……。)
はっと閃(ひらめ)き、アムジカはイキに振り返る。
「イキ、私の体を抱きしめて!」
突拍子も無いことを言い出すアムジカ。
「突然、なに言いだすんだアムジカ。」
「いいから、急いで。お願い。」
困惑するイキを急かすアムジカ。
訳も分からず、言われた通りにアムジカを抱きしめるイキ。
「暴れても、頑張って。」
その言葉にアムジカの意図が分かった。
そういうことかと覚悟を決め、力強く抱きしめるイキ。
次の瞬間。咆哮を上げるアムジカ。
見れば白虎も仰け反って、咆哮している。
突然の白虎の行動に一瞬戸惑うトヒル。
アムジカと白虎が入れ替わったのだ。
「おのれぇ、邪魔をする気かぁ!」
トヒルの言葉など無視し、背にトヒルを乗せたまま、白虎が壁に突進していく。そして、トヒルごと壁に体を打ち付けた。
トヒルの絶叫。白虎の背から転げ落ちる。
そのトヒルに襲い掛かる白虎。トヒルの脇腹に喰らいついた。
白虎の牙がトヒルの体を突き抜ける。
「がぁああああああああ」
トヒルの絶叫が木霊(こだま)する。尚も喰らいつき、前足の爪で引き裂いていく。
「おのれ、おのれ、おのれぇー。」
その怨嗟の叫びと供にトヒルの不可視の力が白虎に放たれた。
白虎の胴が大きく刳(く)り貫かれる。堪(たま)らず、もんどりうって倒れ込む白虎。
その様子がイキには、とてもゆっくりしたものに見えた。
(アムジカ……、アムジカが死ぬ……。)
腕の中でアムジカの体が事切れたような感触。
見れば、ぐったりと崩折(くずお)れている。
「そんな……、でも、それなら……。」
アムジカの体を横たえ、通用口に戻るイキ。
(だめだ。死なせない。)
「まだ間に合う!」
イキはある決意をしていた。
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