王都近隣の密林。
「きゃぁ!」
「ひょぉぁ!」
「たあぁぁ!」
ユマの奇声が密林に木霊(こだま)している。
奇声が上がる度に白虎の爪や牙をかわしているのだ。
全てロバ(チル)のお手柄である。
「もう。お父ちゃんがいれば、もっと楽チンだったのにー。」
見れば白虎は、周囲に涎をぶちまけながら必死に追ってきている。
「あーん、もういやぁー。」
追いかけっこは、かなりの時間続いている。
ロバに任せっぱなしとはいえ、ユマも疲労の極致であった。
(もう、いい加減トヒルをとっ捕まえててもいい頃なんだけど……。
シュレイったら何やってんのよぅ。)
不意に気が付くと白虎が付いて来ていない、立ち止まっている。
たち返って、尻尾を振り振り、挑発を繰り返してみるが反応が無い。
そのうち、ぶるっと体を振るわせたかとおもうと、身を翻(ひるがえ)し、駆け戻っていく白虎。
「え、まさか……。」
訝(いぶか)しげに白虎を追いつつ見れば、先程とは目の輝きが違う。
「まずい!シュレイったらドジったわね。」
ユマの言葉に反応したのか、白虎のスピードが上がる。
そう白虎と姫様の心が入れ替わったのだ。
ユマもロバに拍車を掛けて追い縋(すが)る。
「待って姫様、話を聞いてぇー。」
叫ぶユマの声にも白虎の勢いは止まらない。
二匹の獣が密林の中を全力疾走していく。
密林が切れた。
先は田園風景、疎(まば)らに人影も見える。
「ちょっと待って、大騒ぎになっちゃうよ!」
ユマの心配も余所に白虎は、迷うことなく田んぼ脇の畦道(あぜみち)を突っ走って行く。
白虎に気づいた人々の怒声や悲鳴。右往左往する人々を横目で見ながら風のように駆け抜けていく二匹の獣。
「どこに行こうっていうのよ……。」
家並みが見えてきた。城下町だ。
(ちょっと姫様、本気?)
「みんな、どいてー!」
前方の人々へ注意を促(うなが)すべく声を張り上げるユマ。
ユマの叫びに住民たちも白虎に気付き、蜘蛛の子を散らすように逃げ出す。
悲鳴が鳴り響く中、そのまま石造りの町並みの中へ傾(なだ)れ込み、曲がりくねった路地をすり抜けて行く。
狭い路地である。
「あっ、誰かふんだ?」
確かめる暇なく通り抜けてしまっている。
続く巻き込まれる人。
「きゃあ、ごめんなさーい。」
通りかかった人にとっては、いい災難である。
漸(ようや)く路地を出たところで、今度は群集の壁が目に飛び込んできた。
どうやら盛り場に出たらしい。
湧き上がる悲鳴。すると白虎は、猫科の特性を活かして横手に続く家並みの屋根へと飛び上がる。その巨体も手伝って屋根の上に出た。
それを追って、なんとロバも続く。
ユマを背負ったまま、屋根へと跳び上がったのだ。とんでもない身軽さである。
見れば、白虎は屋根伝いに城へ向かっているようだ。
それを追いかけるユマ。
騒ぎは、町の中心に広がっていく。
屋根の切れ目を段々飛びに、洗濯物などの障害物をかわしての追走。
白虎は、元が何だか分からない布地を引き摺っている。
「まて、まてー」
一寸、喜んでいるユマ。
遂に家並みも切れた。王城も近い。
屋根から降りても白虎の勢いは衰えない。
人の数も増えて、人々の注視の的だ。
目立ちまくりである。
「ユマちゃん!!」
横合いから名を呼ぶ声。視線を向けるとイキが何やら叫んでいるが、一瞬で通り過ぎてしまった。
「なによもう、トヒル捕まえてるんじゃないの!」
あの一瞬、イキに村長、シュレイにトヒルが見えていた。
王城が見えた。
(あれ?トヒルの元に向かってたんじゃないの?)
白虎は、王城を目指して一直線である。
トヒルに気が付かなかったのか、それとも別に目的があるのか。
(どうする?)このまま白虎を追うか、イキさんたちと合流するか……。
「でも、このままじゃあ……。」
ロバに拍車を掛け一気に距離を縮める。
白虎に並走し、声を張り上げる。
「姫様、お城に近づいたら殺されちゃう。殺されちゃうってばっ!」
ユマの叫びも空しく、白虎の勢いは衰えない。
事態は切迫してきた。白虎はどうあっても城に行くつもりだ。
王城には、多くの兵士が式の警護に借り出されている筈である。いつもにも増して数を増やしているであろうし、トゥラン・スイパ王国の兵士達もいる。
このまま白虎の姿で行けば、兵士たちにとっては、只の獰猛な獣だ。殺すのに躊躇はしないだろう。そうなれば大勢に無勢、たちどころに殺されてしまうのは目に見えている。
「姫様、待ってって言ってるでしょー!」
切れ気味のユマの叫び。
もう王城へ上る本道まで着てしまっている。
群集が群がる城門への道は、白虎の出現で大恐慌となった。
あちらこちらで悲鳴や嬌声が沸き起こる。
白虎の疾走に呼応して、我先にと逃げ散っていく。
白虎の後ろを追走しているユマ。
(城門で足止めされるのは目に見えている。どうしよう……、手詰まりだよ。)
機(はた)と気付いたユマ。
周りに見える兵士に制止の動きが見られない……。
不信にとらわれたユマの目に大きく開いた城門。
「門が開いてる?」
そこに飛び込む白虎。
「ええい!やけくそだい!」
ユマも続く。
そこでユマの見た光景は、誰も白虎に手出ししない兵士達だった。
ユマの事も無視である。
「どういうこと?あのトヒルの仕業……?いえ、ちがう……。」
シュレイに捕まっていたトヒルを見ているのである。トヒルの仕業でないという事は分かる。
白虎は、躊躇することなく城内へと駆け込み、城内を何処(いずこ)かへと向かっている。
ロバに跨ったまま、白虎に続くユマ。途中で出くわす城詰の官臣たちも何もしてこない。
ただ見送るだけだ。
(何がどうなってんの?姫様、どこに向かってるんだろう……。)
幾度か階を上がり、辿り着いた場所は王女の私室であった。
両開きの扉は大きく開け放たれている。
「よう、意外と早かったじゃあねぇか。」
白虎を追ってユマが見たのは、姫様の私室で獣の様に暴れる姫様を羽交い絞めにしているゲンジの姿だった。
「父ちゃん……?」
茫然とするユマ。周りを見れば、王女付きの女官たちや警護の兵士たちが遠巻きに成り行きを見つめている。
白虎は、ゲンジを威嚇するように身を屈(かが)め低い唸り声を上げている。
「どういうこと、お父ちゃん?ここで何やってんのよ!」
「何って、見ての通り姫様を捕まえたところだ。」
「はぁあああ、誰がそんな事しろって言いました!お父ちゃんはあたしと一緒に白虎の相手をする筈だったでしょ!」
憤慨するユマを無視して、ゲンジは白虎へ向き直る。
「慌てて自分の体を取り戻しに来たみたいだな、アムジカ王女。」
ゲンジの言葉に白虎は、眼光鋭く睨みつけたまま動かない。
「俺を倒さなきゃこの体は取り戻せねぇぜ、一丁戦ってみるか。
そのつもりで化けて来たんだろ?」
白虎を挑発するゲンジ。ユマには事の成り行きがまるで見えない。
「もう、戦うって何よ。訳分かんない!」
「まぁ、つまりだ。姫さんが馬鹿やる前に取り押さえといたってことだ。」
「馬鹿をやるって……、意味分かんない。」
「なんせ俺も娘をもつ父親だからな、親殺しなんぞ見過ごすわけにゃあいかねぇさ。」
「親殺しですって!?」
ユマの驚きに遠巻きに見ていた女官や兵士たちからも驚きの声が上がる。
「筋書きはこうだ。常に身の周りを警護の兵士で固め、身内にも心を許す事の無い父親でも結婚式ともなれば話は別だ。警護が薄くなる式の最中を狙って白虎を場内に送り、白虎に王を殺させる。つまり父親を殺すが目的だったわけだ。
そして姫さんは白虎と心を入れ替わる。
姫さんの姿をした白虎は暴れ回り、結婚相手は父親の死で乱心したと思うだろう。皆にも納得させる、今までの布石もあるしな。
自分の縁談を破談させる口実も手に入れて、晴れて、めでたし、めでたしとなるはずだったのが、白虎を式場へ送るはずのトヒルは呆気なく捕まり、白虎はロバを追っかけるのに夢中になっている。
計画は失敗だ。
そこで悩んだ姫さんは、自分の手で殺すことを決心したのさ。花嫁の父親となれば、二人っきりになる機会も出てくる。その時を狙って殺そうと思ったわけだ。
なぁ、アムジカ王女。」
白虎は観念したのか、大人しくなっている。
「機会を待つってぇのも面倒だしな、手っ取り早く捕まえといた。捕まえた途端にこれだ。」
姫様は、ゲンジの腕の中で獣のようにもがいている。
「それで、この姫様を人質に城中を脅して白虎をここに来させる様に仕向けたって分けだ。」
「そして案の定、白虎はここにやって来た。と言う訳ね。」
納得するユマ。
「でも、何でそんな事がわかったの?」
「朝っぱらから城に潜り込んで調べて回った。」
「どうして、そう勝手なことを……。」
「俺は、常に裏を取っとく主義なのは知ってるだろ?」
「まったく……、それで、姫様が親を殺す理由は何?」
「そいつは、本人に聞くのが手っ取り早い。なぁ、姫さん。こうなったら何をするにも手詰まりだ。今の話を聞いていた人間が周りにこれだけ居るからな。観念して元に戻ったらどうだい?」
ゲンジの言葉に驚くユマ。
「え、自分の意志で入れ替われるのー!」
「そうみたいだな。」
驚き目を瞠(みは)るユマに見つめられ、うな垂れる白虎。
暫(しば)しの沈黙。妙な間が流れる。
そこにイキとシュレイが駆け込んできた。
「イキさん!良く来られたわね。」
ユマが声を掛けた。その言葉に一同が注目する。
「俺たちが手を貸した。」
シュレイである。傍らにトヒルも立っていた。
イキは荒い息を吐きながら、ユマの声に勢いを落とす。
「はぁ、はぁ、途中でユマちゃんを見かけたもんで、慌てて追って来たんだ。」
イキはそれだけ言うと白虎に歩み寄っていく。
「アムジカ……、話は聞いたよ。もう止めよう、さあ元に戻って……。」
逡巡(しゅんじゅん)する白虎。イキを見つめる瞳が悲しげである。
「これからどうするか考えよう……、僕も一緒に考える。きっと良い案が浮かぶよ、誰も悲しまないで済む名案が……。」
優しく説得するイキを切なく見つめる白虎の瞳。
その様子を黙って見ていたユマは、白虎の視線が一瞬、他へ移ったのを見た。
白虎の視線を追うユマ。視線の先にはトヒルがいる。
「あっ!トヒルと白虎を一緒にしたら駄目なんだった!」
気付いたユマ、だが遅かった。
次の瞬間。目に見えない力が弾けた。
部屋にいる者が煽(あお)られる。
気が付くと部屋の中央に白虎に跨ったトヒル。そしてアムジカ王女。
彼らの周りには見えない壁。誰も近づけない。
「叔父さん!何をするんだ。」
叫ぶイキ。
「お、叔父さん?」
小首を傾(かし)げるユマ。
「イキよ、事はまだ済んではおらん。王女の望みは叶えてやらんとな。」
「六年前の恨みは分かる。分かるけど、こんな事したってしょうがないじゃないか。」
説得を続けるイキ。
「六年前?六年前って何のこと?」
キョロキョロと周りに聞いているユマ。
「アムジカ!アムジカ、君は本当に父親を殺したいのか?そうじゃないだろ、元の父親に戻って欲しいだけじゃあないのか?」
イキの言葉に首を振るアムジカ王女。いつのまにか入れ替わっている。
「父が元に戻ることなんて無い。たとえ元に戻ったとしても同じ。
お願い、もう邪魔をしないで。貴方のお仲間にもお願いするわ……。」
王女の言葉が終わると同時にトヒルは不可視の力で壁を吹き飛ばし、王女を促(うなが)す。
「アムジカ……。」
落胆するイキの横にすくっ、と立ったのはロバに跨ったユマ。
「なんだか、あたしだけ蚊帳の外で訳分かんないけど、あなたの好き勝手にはさせないわ!」
トヒルを指差し言ってのけるユマに足を止め、不敵な笑みを浮かべながらトヒルは振り返った。
「ほう、戦うつもりかね?」
「前に言ったはずよ、チルがいたならボッコボコにしてやるって!」
言うや否やユマがロバに拍車を掛けた。駆け出すロバ、不可視の壁など毛程にも感じていない。
ちっ、と舌打ちして部屋を跳び出るトヒル。
追って見れば、外壁を垂直に駆け上がっていく白虎。背にはトヒルとアムジカ王女。
追ってロバも垂直に駆け上がる。背にはユマがしがみ付いている。
どちらもこの世のものとは思えない動きである。
城の屋上まで駆け上がり、白虎は球形状の天蓋(てんがい)の上でユマを待ち構えていた。
「なかなか常識離れした動きをするわね。」
ユマのからかい調子な物言いにトヒルも涼しげに言い返す。
「お前さんもな。先刻の言葉、力の発動条件に良く気付いたものだ。最初にお目に掛かった時に白虎は姿を見せてなかった筈だが?」
「あなたに腕を折られた時ね。よーく覚えてる。どうせ近くの茂みにでも潜ませてたんでしょ?」
「折れた腕が既に完治している事といい、そのロバといい、お嬢ちゃんも同じ穴の狢。
翻魂(ひるこ)なのだろう?その体も本来の姿ではないな。」
「まあね。なんとなく予想はしてたけど、お仲間だったとはね。」
ユマの言葉に心底楽しそうに笑い出すトヒル。
「それにしても醜くなったものね。心の醜さが表に現れちゃったのかしら?」
「そう言うお前さんはどうなんだい?」
「あたしは、すっかり子供還りしちゃったわ。」
「なるほど、心の幼さが表に現れたというわけか。」
「う、うるさいやい!」
ユマの怒声も微笑ましいといった表情のトヒル。
「お嬢ちゃん、ここはお互い呪われた者同士、手を組まないか?
経緯(いきさつ)はどうあれ、気持ちは分かってくれるだろう。」
「だめだね!」
ユマの即答。
「あたし見ちゃったもん、この国の滅びる様を。」
「あちらでかね?」
「そうよ。」
得意げに答えるユマに割って入るアムジカ王女。
「ど、どういうことです!?」
アムジカは、酷く困惑しているようだ。
トヒルを怪訝そうな目で見るユマ。
「あれぇ、姫様分かってないようだけどぉ?」
トヒルに微(かす)かな動揺が走る。
「どういうことなのです!貴方は国民を巻き込まないと、そう仰いました。
そう仰ったから、私は……。」
詰め寄る王女を見下す表情のトヒル。
「王家が崩壊して、国が平和な儘(まま)の筈なかろう。況(ま)してこの国は周辺諸国が生唾飲んで欲しがっている豊かな国だ。王家が無くなれば禿鷹のように群がってくるわ!」
そう吐き捨てるように言ったトヒル。
信じられないといった表情で震えるアムジカ王女。
「やっぱり見た目通り、醜い心の持ち主だったわね。
でも、あたしが居たのが運の尽き。うーんと懲らしめてあげるわ!」
言って手綱を構えるユマ。
それを察知し、王女を盾にとるトヒル。
「やれるものならな!」
ぬけぬけと言う。
「まったく、やり方変わんないわね。そんなんじゃ勝ち残れないよ!」
言うなり拍車をかけ、突進して来るユマ。
そのユマの周囲にこぶし大の光球が数個浮かんだ。
「なにぃ!」
目を瞠(みは)るトヒル。
光球が弧を描いてトヒルに降り注ぐ。
弾(はじ)ける光球。その中へ突入するユマ。
光りが明滅する中、飛び出したロバの背には王女が担がれている。
「抜かったわ、だが逃がしはせん!」」
激しく言い放つトヒル。咆哮を上げる白虎。
ロバは王女だけを背に、階下へ向かっている。
「小娘がいない……。」
慌てて左右を見回すトヒル。
そのトヒルに上空からユマが降って来た。
「たぁあああああ」
トヒルの頭頂部にユマの踵落とし。
見事に決まり、トヒルの眼球が引っ繰り返る。
光の目眩(めくら)ましに紛れて、ユマは球状の天蓋に上っていたのだ。
着地したユマ。気を失い倒れるトヒル。
するとユマの背後に白虎の影。
「ひゃぁあああ」
奇声を発して前方へ身を投げるユマ。
直後、倒れ込んだユマの上を火線が疾る。白虎が炎の息を吐いたのだ。
焦って身を立て直すユマに白虎が迫る。
ロバは王女を安全なところに運ばせた。今、ユマは身ひとつ。
白虎相手は分が悪い。
「にげよ。」
言って一目散に逃げ出すユマ。
追い縋(すが)る白虎。
逃げ切れない!と、ユマが身を縮めたその時、銀の十字槍が白虎の行く手を阻んだ。
「シュレイ!」
ユマに笑みが弾ける。
「気をつけて!こいつ火を吹くよ!」
ユマの言葉を背に、シュレイが覆い被さるように圧し掛かってくる白虎をいなす。
擦れ違いざまに槍先を突き立てようとするが、猫科の動きで身を捩(よじ)り、槍先をかわすと火線を吐く白虎。
身を捻(ひね)り、寸前で火線をかわすシュレイ。
野生と体術を駆使しての攻防である。
(シュレイが来てくれたのなら……。)ユマには考えがあった。
姫様の説得。さっきのやりとりで説得出来る可能性は高い。姫様をこちら側に付ければ、勝機は自(おの)ずからこちらの物である。
「シュレイ、しばらくこいつの相手をお願い!」
言って駆け出そうとするユマにトヒルが立ちふさがった。
「このまま逃がしはせぬぞ、お嬢ちゃん……。」
下卑な笑顔で見下ろすトヒル。
「もう、気が付いてやんの……。」
ユマは、唇を噛んだ。
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