[ユマの冒険] 
作/画:たいぎ



 カバルカン王国王都。

 薄く棚引く朝靄(あさもや)がカキシャ河の水面に雲を引き、王都を霞(かす)ませて影絵の如く見せている。朝霧の舞う、ひんやりとした空気に白々と朝日が照り始め、凛とした朝を演出していた。

 まだ朝靄の晴れぬ早朝から人々の喧騒が賑わっている。王女の結婚式に浮かれた人々の熱気がいつもとは違う忙しい朝にしていた。

 結婚式当日の早朝。

 美しく飾り立てられた王城のテラスに美しい少女が、ふとすれば曇りがちになる赤く瞼の腫れた瞳を城下へ投げかけている。夜着のまま、朝霧の棚引く微風(そよかぜ)になだらかな黒髪を遊ばせていた。

 ここにも城下の喧騒は届いてくる。

少女は軽く唇を噛んだ。

「何がそんなに楽しいのかしら……。」

少女は、ふと悲しげな呟きを洩らした。

そして、溜息をひとつ。

アムジカ王女である。今日で十六歳となった少女には、誕生日を喜ぶ余裕などある筈もなく、意に添(そ)わぬ結婚に悲しい決断をしようとしていた。

「どうかなされましたかな?」

 不意に声を掛けられて、はっとなる。

 振り返ると、おもったより離れた位置にその人物は立っていた。

「良縁(りょうえん)良き日に朝から溜息とは……、本日の結婚式、あまり乗り気がしませんかな?」

 いつかと同じ既視感(きしかん)を感じさせて現れたのは、東洋風な服装に赤いバンダナを頭に巻いた男。壁に背を凭(もた)れて腕を組み、少々無作法に感じる。

そう鴇珠(ときたま)ゲンジである。

男の突然の訪問に動揺しつつも、王女は内心それを隠して表情を崩さない。

「何用です。自分の所業をお忘れですか?本来ならばこの場で手討ちにされても文句の言えない立場なのですよ。」

 何処となく迫力に欠けている。

「まぁ、そう言わずに……。いえね、あんたがどこまで本気なのか確かめたくて。」

 言いつつ歩み寄るゲンジの視線から逃れるように顔を背(そむ)けるアムジカ。

「本気も何も王族には伴侶を選ぶ自由など在りません。良くも悪くもそう躾(しつけ)られて育ちましたし、私も王族の理(ことわり)に従うだけです。」

 言って俯(うつむ)くアムジカ。

「こいつぁ言い直した方が良さそうだ……。」

 真顔になるゲンジ。

「あんた、この国を本気で潰すつもりなのか?」

 ゲンジの言葉に目を瞠(みは)るアムジカ。

「な,何を言っているのです。国を潰すって、何の事だか……。」

 あからさまにうろたえるアムジカにゲンジは続ける。

「あんたの立場にゃ同情もするし、気持ちも分かる。だが、国を巻き込んじまおうって算段はねぇんじゃねぇか?そうなりゃ大勢の人間が巻き添えを食う、後で詫(わ)びて済む話にはならねぇぞ。」

 アムジカを見つめるゲンジ。その表情は俯いたまま動かず、窺(うかが)い知れない。

「貴方は、考え違いをしています……。」

 ぽつりと洩らすようにアムジカが口を開いた。

「被害に遭う者など出たりしません……、国が滅びるということは、国民が滅びるということでは、必ずしも同じではないのです。」

 俯いたまま一点を睨んでアムジカは言う。

「被害がでねぇって、いったい……。」

 怪訝な表情で問うゲンジの言葉をアムジカが遮(さえぎ)る。

「お願いですから、このままお引取り下さい。すでにトゥラン・スイパ王国も動いています。もう後戻りなど出来ない!!」

 最後は頭(かぶり)を振って叫び声に近かった。

 そんな姫様の様子に立ち去ろうとするゲンジ。だが、不意に足を止めて背中越しにアムジカに聞く。

「……イキに言っとくことはあるか?」

 ゲンジの言葉に姫様からの返事はなかった。

 

 

 王城の敷地内に設(もう)けられた礼拝堂。

 装飾に飾り立てられた外壁に屋根、神話や宗教説話を題材にした彫刻、彫像がびっしりと覆っている。

人ひとりが身を隠すのには困らない。

そんな隙間にクァン・シュレイは身を潜めていた。

 昨夜の作戦会議での事である。

「いい、シュレイ。事が起きる前になんとしてもあのトヒルを捕まえないと後々不利になっていくばかりですからね。」

 ユマはシュレイにそう前置きしてから、一日掛かって書き上げた作戦書に目を落とした。

「あいつも明日は、あの不可視の力を使う事は出来ないと思うの。あたしの予想が正しければ、使えない状況になってますからね。だからシュレイなら簡単な仕事よ。

問題はどこに現れるかってことなんだけど……。

あのトヒル、きっと式の始まる前には式場近辺にいるはず。」

作戦書に目をやりつつ考え込んでいるユマ。

「んんと、ねぇシュレイ。」

 ユマが含みを持った笑みを浮かべてシュレイを見つめる。

「こういう場合、いつもシュレイが好む場所ってどこ?」

「どういう意味だ?」

 目を細めて問い返すシュレイ。

「意味なんてどうだっていいの!ねぇ、どこ?」」

「……礼拝堂の屋根だ。」

 苦々しく答えたシュレイ。

「じゃあ、そこだ!!」

 ユマはシュレイを指差し、元気に言い放った。

 そんなやり取りを思い出しつつシュレイは、神話の一場面に見立てた剣士の像に背を預(あず)けている。

 突如、風が匂った。

 その匂いで我に返ったシュレイ、瞬時に気配を殺して辺りを窺う。

すると、シュレイから下方に小男がひとり、周りから目立たぬよう身を隠しつつ此方に移動している者がある。

 あのトヒルである。シュレイには気付いていない。

 本当に現れたトヒルにシュレイは少々悔しい思いだった。

 トヒルの動きは、身軽さに慎重さを兼ね備えており、それなりの力量を感じさせる。

シュレイは奇襲を仕掛けた。先手必勝である。

突如、横っ飛びに転がるトヒル。シュレイの十字槍を本能的にかわしたのだ。

舌打ちをするシュレイ。

「ある程度、行動を読まれていると思ってはいたのですが、何気に素晴らしい方々ですな。」

身を起こしつつ言うトヒル。

「しかし、私を見つけたところで詮無(せんな)き事。先日どのような目に遭ったか、覚えておられますかな?」

 強気な口調だが、先日の闘いを持ち出すあたり、あの時ほどの余裕がない。

 あの不可視の力を思い起こさせ、相手を怯ませようとしている。

シュレイは無言のまま十字槍を下段にかまえ、一瞬の間を置いてトヒルに素早い突きを繰り出す。

 体を反らして避けるトヒル。合間、懐から短剣を取り出し、シュレイに斬りかかるが、短剣と十字槍では、間合いが段違いである。

短剣は十字槍に悉(ことごと)く阻まれ、シュレイに届かない。

刃を合わせていられたのも、そう長くはなかった。

弾き飛ばされる短剣。宙を舞い、屋根を越して落ちていく。

怯むトヒル。

「なぜ迷いがない。私のあの力が気にならんのか?」

トヒルの呟きも気にせず、シュレイの技が鋭さを増す。

「そうか、力が使えぬ事を知っておる……、と、いうわけか。」

 逃げを打とうにも、その隙を与えられない。

防戦一方のトヒル。シュレイの続けざまの槍捌(やりさば)きに、遂にトヒルの肩口から血飛沫(ちしぶき)があがった。

「なるほど、私があの力を使えぬと知っておる……。」

 肩口を手で抑えつつ尻餅を付くトヒル。

 戦意を失ったトヒルに切っ先を突きつけるシュレイ。

「呆気なかったな……、一緒に来てもらおうか。」

 トヒルを見下ろし、シュレイが言った。

 

 

 王城の正門前。

 城下に続く坂道は、黒山の人集(ひとだか)りとなっていた。結婚式後のパレードをお目当てにしている人々である。

 雑多な人々が少しでも良い場所でパレードを見たいと、それぞれ大騒ぎである。

 その群集の中にイキ・ツヌニハの姿があった。

 イキの役目は、偵察と伝令である。

 王城周辺の状況とトゥラン・スイパ側の情勢を調べ、シュレイがトヒルを捕らえて来たら、すぐにユマへと知らせに走る。

 目立たぬよう、この国の人間であるイキが務(つと)めるのが適任だった。

 作戦通りなら、そろそろシュレイがトヒルを捕らえてくる筈である。

シュレイとの接触場所に向かい始めるイキ。いささか緊張気味であった。

その時である。

「イキ!イキじゃないか!」

 突然名を呼ばれて、声の主を探すイキ。

 見れば群集に塗(まみ)れてパルマ村村長、イキの父親がそこにいた。

「と、父さん?」

イキが気づくと群集に揉まれながら、イキの方へと向かってくる。

村長は、人並みを掻き分けながら、漸(ようや)くのことで、イキの元まで辿り着いた。

「イキ、夕べから姿が見えないから、もしやとおもって来て見れば……、案の定ここに来ておったのか。」

 乱れた息を整えて、喋り始める村長。

「しかし、すごい人だかりだな、ずっと過疎の村に居ったものだから大変だったぞ。」

 周りを見渡しながら話している。あまりの人の多さに圧倒されている様だ。

「父さん、どうしてここに?」

 村長は、汗を拭きつつ、イキの言葉に視線を向ける。

「お前が昔っから姫様を好いておったことぐらい知っておったよ。そんな、お前を連れ帰ろうと思ってな。」

 思いも寄らない父の言葉であった。返す言葉無く項垂(うなだ)れるイキ。

そんな息子を優しく見つめ、父は息子の肩に手を掛ける。

「さぁ帰ろう、パレードなど見たら辛くなるだけだぞ……。」

 そう言って、息子を促(うなが)す父。

一瞬の逡巡(しゅんじゅん)の後、イキは黙って父の手を払った。

「イキ?」

 驚く父親にイキは決意のこもった眼差しを向ける。

「帰れない……、帰れないよ、父さん。僕にはやらなくちゃならない事があるんだ!」

 イキの声は、僅(わず)かに震えていた。

「イキ……、お前……。」

 村長がそう声をかけた時、シュレイが麻袋を担(かつ)いで現れた。

「おや?あんたは……。」

 シュレイを見咎(みとが)めた村長。

「他の二人はどうした?私たちに何か用か?」

問いかける村長を尻目にシュレイは、挨拶なしに村長の脇を抜け、イキに近づていく。

イキの元までやって来たシュレイ。

「捕まえた。」

 ひと言、イキに伝えた。

 シュレイの言葉にイキは力強く頷く。

 その様子を見ていた村長。

「あんたか、うちの息子を誑(たぶら)かしているのは?一体全体何をやっている、その肩に担いだ物は何だ。」

 シュレイに詰め寄る村長、怒鳴りながら強引に麻袋の中を覗き込む。

 麻袋の中には、縛られ猿轡を噛まされたトヒルが押し込められている。

 それを見た村長。

「ウツキ!ウツキじゃないか!」

村長の驚きの声が上がった。

 


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