カバルカン王国王都。
王城を取り囲む様に広がる城下町は、外敵の侵入を容易にしないよう各通りは複雑に絡み合い半迷路状態である。それでも港から城下へと伸びる大通りは別なようで、まっすぐ伸びた通りは道幅も広く、この国最大の行商市場となっている。王女婚礼も三日後に迫り、婚約の儀から半年ぶりの祝祭で、いつにも増して大変な盛り上がりを見せていた。
「と言うわけなの。わかった?」
ユマである。
初夏の日差しは午後を過ぎても衰えを知らず、むしむしとした暑い日となっていた。昼前にようやく城下町へと入ったユマ、ゲンジ、シュレイの三人は、賑わう行商市場で簡単な昼食を取り、今は王城へと続くなだらかな坂道を歩いている。
「で、何が、と言う訳なんだ?」
ゲンジは、ロバの背に後ろ向きでちょこんと座っているユマに問い返した。
ゲンジの正面、頭一つ下でゆらゆらと揺れるユマの顔。その表情はというと、瞬(まばたき)の間にすっかり膨れっ面(ふくれっつら)に変わっていた。
「もう!お父ちゃんたら、ちゃんと聞いてたーっ。」
「ちゃんと聞いてたさ。しかし、お前の話は抽象的な上に自分の気持ちばかり喋ってて、さっぱり分からん。なんで俺たちが姫様を誘拐しなきゃならないんだ?」
「だから〜っ、誘拐じゃあなくって、お姫様を村長の息子さんに会わせるの!いい、二人は幼なじみでね、お姫様の結婚を知ったイキさんは、会いたい!せめて一目だけでもって、そう思ったわけよ。だけど彼の今の立場じゃあ、それは無理。白虎の毛皮を献上品として持っていけば接見ぐらい出来るかも知れないけど、あの白虎を殺すのは嫌なの!なら、あたしたちが手を貸して二人を会わせてあげればいい……、ねっ!」
「だからな、なんで俺たちが手を貸してやらなきゃならないんだ。わざわざ、そこまでしてやることはねえと思わないか?」
ゲンジの言葉にシュレイも頷いている。
「だって、あんな話を聞いたら、ほっとけないじゃない!」
「まったく。お涙頂戴の話を聞くと、すぐに感化されちまって……。いいか、相手は仮にもこの国の王女だぞ、立場ってものがある。仮に首尾よく奴のことを伝えられても、会う気になるか分からないし、たとえ会ったとしてもだ、その先は?どうする気なんだ。」
「それはもう当然、二人を愛の逃避行へ誘(いざ)なってあげるのよ!」
夢うつつに瞳を潤(うる)まして言うユマ。
「結局、姫様を誘拐するんじゃねぇか!」
ゲンジは、呆れて嘆息(たんそく)したのだった。
そうこうする内に王城が視界に広がってきた。
球形ドームを掲げた王宮を城壁が円を描いて取り囲んでいる。大きさは然程(さほど)でもないが、金を掛けているのがよく分かる豪奢(ごうしゃ)な造りの城で、この国の豊かさを如実(にょじつ)に表していた。
「さてと、下見に来たのはいいけれど……。ここが平和な国ってのは本当みたいだな。」
王城を見上げながらゲンジが言うと、シュレイが頷く。
「これなら今すぐにでも入り込めるぜ。夜まで待たず、今のうちに渉(わた)りを付けとくか?」
同意するシュレイ。
「そんなのだめぇーっ!!」
突然の嬌声(きょうせい)に驚くゲンジ。
「ユマっ!いきなり大声出すんじゃねぇ!びっくりするじゃねえか。」
「だってぇー」
「だってじゃねぇ!」
「ねぇ聞いて!あのね、お姫様とイキさんは何年か振りに再会を果たすんだから、雰囲気を盛り上げてあげないといけないと思うの。」
「だから?」
「だから〜っ、お城に来たのは内緒で逢引きの手筈を整えるためなの。それなのに騒ぎを起こしちゃったらダメでしょ!まったく、いつもの調子でやっちゃったら、お城の中を引っ掻き回した挙句、ぐるぐる巻きのお姫様を彼のもとへ届けることになっちゃうわ。そんなことになっちゃったら感動も何もあったもんじゃないでしょ!」
「どういう例えだ、それは……。」
「今回は、誰にも気付かれないよう、美しい月明かりの下、お姫様を彼のもとへやさしくいざなってあげるのよ!」
「また、お前は難しいことを言う。誰にも気付かせずにとは……。」
「だから、あたしが夕べ徹夜して計画を練って来たんじゃない。ちゃんと計画通りにやってよ!」
「わかった、わかった、仰(おお)せに従いましょ。」
嘆息するゲンジの言葉を聞くとユマは、今まで背負っていた背負い袋を下ろし、中から紙の巻物を取り出す。
「ほら、もう一度これ見て。今度は段取りをちゃんと覚えてよ!今回は失敗できないんだからね!」
そう言うとユマは、巻物をゲンジに手渡した。巻物は、昨夜ユマが書き綴(つづ)った計画書である。
得意満面なユマを尻目に、渋々目を通すゲンジ。
見れば次のようなことが書いてある。
一、逢引きの方法。
村長の息子には、宵の口までに城へ来るように指示。
婚礼の準備で多数出入りする城外の人間に交じって潜入。
姫君への接触、逢引きの段取りを伝言、一旦城外に退避。
上記の実行に不都合が生じた場合。
チル(ロバ)を暴れ馬ならぬ暴れロバに仕立て城内へ、混乱に乗じて潜入。
姫君への伝言。チルには手紙を持たせ、状況に応じて適切な者を使う。
伝言内容は以下の通り。
1、イキ・ツヌニハが姫君に会いたいと希望していること。
2、今宵、逢引きの手筈を整えていること。
3、逢引きの場所と刻限。
4、一切を秘密厳守のこと。
二、逃避行の方法。
二人の逢引き後、姫君がイキ・ツヌニハとの結婚ないし、それに類似する意志を示した場合、以下の計画を実行する。
姫君は城に戻り、乱心を装ってもらう。
(これにより三日後の婚礼を中止ないし延期させる。)
皆が姫君の乱心に落ち着いた頃を見計らい、偽装自殺を試みてもらう。
自殺方法は投身自殺。場所は海、又は河。
水に飛び込んだ姫君を誰にも悟られぬように保護。
(これによって姫君の消息を絶ち、国中に死んだと見せかける。)
後は、姫君をイキ・ツヌニハのもとへ。
これで、この計画は完遂(かんすい)とする。
もし姫君がイキ・ツヌニハに対して何の好意も持っていない場合は、この限りではない。
と、要約すれば以上のような内容なのだが、これがまた細かいことをだらだら、延々と書いてあり、しかも一文字一文字がやたらと大きく、それによって膨大な長さとなっている。
分かりにくい事この上ない。
そりゃあ徹夜にもなるだろうと思いながら読み進み、よくもこれだけ書いたもんだと感心しはじめた頃、ユマが声を掛けてきた。
「ねぇ、お父ちゃん、シュレイは?」
ユマに言われて辺りを見回すゲンジ。確かにシュレイの姿が見えない。
「あっ!あんな所にいたぁ!」
ユマの指差す方を見てみると、遠く前方にある王城の正門前にぽつねんと立っていたりする。
かなり怪しい奴に見える。
「もう!シュレイったら!」
そう言うと、ユマはロバに跨(またが)りシュレイのもとへ駈けていく。
ゲンジもそれに続き、暫(しばら)くしてシュレイの所までやって来た。
「シュレイ!あんたはもう、見つかっちゃったらどうすんの!」
ユマが腰に手を当てて怒鳴っている。
シュレイは不思議そうにユマを見る。
「問題無い、皆忙しそうだ。」
言ってシュレイは城内を指差す。
シュレイが指差す方へ目を移し、うにゃあと声を洩(も)らすユマ。
「あれ、何やってんだぁ。」
ユマの声につられて、ゲンジも覗(のぞ)いて見る。
城内は大騒ぎであった。
城門に通じる正面玄関の大広間には衛士や一般兵士、文官などの各役職の人々に貴婦人や使用人らしき御婦人方までが輪を囲んで、なにやら右往左往している。
喧騒はユマたちの所まで聞こえ、怒号や悲鳴などを交えて尋常ではない騒ぎである。
興味をそそられたユマはロバから降りると、トコトコと城門をくぐり歩いていく。
それに続くゲンジとシュレイ。
三人が城内まで入ってきても誰も注意を払わず、なにやら大変な様子である。
近付いて見ると人垣は、何かを取り囲んで二重三重の輪となっているのがわかった。
「お父ちゃん、肩車っ!」
両手を上げてユマが言うとゲンジは、ひょいと持ち上げて肩に乗せた。
「どうだ、なんか見えるか?」
人垣から頭を出してユマが見てみると、輪の中心に女性が一人。身に纏った衣服はボロボロで獣のように四つん這いである。しかも振り乱した長い黒髪の奥で妖しく両目が光り、放り出した舌は地に着く程で、だらだらと涎(よだれ)を垂らしている。
「ユマ、何が見える?」
「えっとね、女の人。なんか変な格好してる。」
「変な格好?」
「うん、四つん這いで獣みたい。なんだろう?」
そこでタイミングよく、姫様!どうかお部屋へお戻り下さい!と声が飛んだりする。
「姫様だって!?」
ユマは、ゲンジと顔を見合わせ言った。
言われてみると衣服はボロボロだが、元は高級そうにも見える。振り乱れた黒髪に小冠が引っ掛かってもいた。
「うわぁ、あれが姫様なんだ、イメージ懸け離れてるなぁ!」
ユマの感慨もよそに、ゆっくり這い続けている姫様。その動きに併(あわ)せて人垣の輪もゆっくりと移動している。このままでは城外に出てしまいそうだ。
意を決したか、ひとりの兵士が姫様を取り押さえようと飛び掛る。
「あっ!噛まれた。痛そう……。」
兵士の腕を引き千切らんばかりに噛み付き振り回す姫様。これはまずいと他の兵士たちも飛び掛る。
姫様が吼(ほ)えた。
それは、とても人間のものとは思えない、はらわたに響く獣の咆哮(ほうこう)だった。
一瞬にして、皆が恐慌に陥(おちい)る。
我先にと逃げ惑(まど)う人々。
姫様を取り押さえようとする兵士たちも思うように身動きがとれず、次々と姫様に倒されていく。いつしか、ユマたちと姫様を遮(さえぎ)る者は居なくなっていた。
「どうしよう、伝言してみる?」
肩車されたままのユマが緊迫感の無い声で言う。
「バカタレ!あの様子じゃあ伝言どころか言葉が通じるかどうかさえ怪しいわい!」
姫様は、ゆっくりと近づいて来る。
ユマは思わず、姫様と目を合わせてしまった。
「うわぁ、きたぁ!!」
咆哮を上げ襲い掛かってくる姫様。
「きゃあああああ!」
悲鳴をあげるユマ、肩車され身動きがとれない。
ちっ、と舌打ちし、ゲンジはユマを肩車したまま姫様をいなす。
勢いがついている分、距離を空けて止まる姫様。
ゆっくりとユマたちへ向き直った。
ぐるるるるる、と唸って身を撓(たわ)めている。
また来た。
そこへ小さな人影が疾(は)しる。
「ふんぎゃあああああ」と叫び声を上げている。
空中でぶつかる二つの影。
吹っ飛ぶ姫様。
カウンターである。
姫様は気を失い、その場に崩れ落ちた。
うんにゃあ、と情けない声を洩らし倒れている人影。
ユマである。
「なるほど。」とシュレイは呟いた。
そう、ゲンジは姫様にむかって、ユマをおもいっきり投げつけたのだった。
王都近郊。
山地に広がる密林には、パルマ村から城下へ続く間道が通っている。
日もすっかり西へと傾き、夕陽が赤く空を染めている。
密林の底に敷かれた間道には、一足早く夜が舞い降りて暗闇が覆っていた。
この間道を城下へと急ぐ男がいる。
右手に翳(かざ)したカンテラの灯りが激しく左右に揺れ、息が荒い。
パルマ村村長のひとり息子、イキ・ツヌニハである。
昨夜、ユマとの打ち合わせ通り、刻限に間に合うよう王城へ向かう筈だったのだが、父親には内密にとのことで館を出るのに思わぬ時間をくってしまっていた。
予定の時刻を大幅に遅れてしまっている。
ベンガル湾を一望出来る思い出のあの場所で懐かしい人が待っている筈である。
遅れる訳にはいかない、今日を逃せば次は無いのだ。
急ぐ足に力がこもる。
愛しい人に思いを寄せて、イキは先を急いだ。
日もすっかり落ち、満面の星空に月が昇る頃、漸(ようや)く木々の合間に城下の明かりが見え隠れしてきた。
ほっと安堵(あんど)の声を洩らした、その時である。
梢に獣のものであろう咆哮が響き渡った。
驚き、おもわず足を止めるイキ。
息を殺し、辺りを窺(うかが)う。
閑(しん)と静まりかえった密林。
不意に近くの茂みが激しくさざめきだした。ガサガサと音をたて、イキの方へと近づいて来る。
そして、茂みを割り巨大な影がぬうっ、と姿を現した。
カンテラに照らしだされた純白の毛皮に蒼い瞳、普通の倍はあろうかという巨体。
あの白虎だ。
のそっ、のそっと緩やかな足取りで道の中央まで歩み出ると、その巨体をゆっくりと横たえ、じっとイキを見つめている。
身が竦(すく)むイキ。
余程、経験を積んだ者ではない限り、野生の虎を目の当たりにする恐怖は尋常ではない。
しかも魔物とされる白虎だ。本能的な恐怖に晒(さら)され、体が硬直してしまっている。
白虎は、イキを見つめたまま動かない。
イキの脳裏にイメージが浮かぶ。
ベンガル湾を一望する丘陵。
舞い上がるタンポポの綿帽子。
そして、涙目で微笑む少女。
「行かなきゃ……。」
意を結してイキが動いた。
白虎を刺激しないように道幅一杯まで寄り、静かに通り過ぎようとする。
すると、白虎がゆっくりと立ち上がり、イキの前まで来ると巨体を横たえる。
まるでイキを通せんぼするように。
白虎の瞳はイキを見つめたまま、そして動かない。
立ち竦(すく)むイキ。恐怖に唾を飲み込み、今度は反対側へ。
しかし、またも白虎が道を塞(ふさ)いで巨体を横たえる。
あきらかに故意に道を塞いでいる。
「なんだっていうんだ。」
ぐっ、と白虎の瞳を睨んだ。
ただでさえ遅れているのに、これ以上時間は掛けられない。
「くそっ、どうしたらいいんだ……。」
白虎の瞳は、静かにイキを見つめていた。
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