一夜明けて翌日。
王都北西、郊外に小さな村がある。山地の麓(ふもと)に開けたパルマという村だ。
村長の館である。
今、朝食のテーブルにユマは座っていた。
テーブルの向かいには、朝っぱらから不機嫌そうな村長とそのひとり息子が座っている。
あと数人の給仕が朝食の仕度をしている。
村長は始終黙ったままで、目を見ると"昨日の結果は?"と訊(き)いている。
あきらかに失敗したのを知っていての、この態度である。
ただでさえ恰幅(かっぷく)のいい図体でこうゆう態度をとられると、萎縮してしまって次々と並べられていく美味しそうな朝食に手も付けられない。
ううっ、と沈鬱(ちんうつ)な面持ちで淡々と説明する羽目となった。
長々と苦しい言い訳をした後。
「逃げられましただとぉ!」
村長、今朝の開口一番である。
「まったく、何のために高い金を払ったと思ってるんだ!ながく旅を続けていると聞いて少しでもあてにしたのが間違いだった。」
言いながら葉巻を取り出し、火を点ける。
その様子を見て人心地(ひとここち)ついたとユマ。今だとばかりに食卓の上に乗ったパンをめざし、そろりそろりと手を伸ばしていく。
後少し!というところで、ヤニ臭い煙が吹き付けてきた。
そして、でかい声。
「聞いておるのか、おいっ!」
「は、はいっー村長さん!」
村長の大声にびっくりして、せっかく伸ばした手を引っ込めてしまうユマ。
「いいか、あの大虎を見ただろ、真っ白で普通の倍はある体。魔物だよ、魔物。 それを手負いにして、もしもこの村を襲ってきたりしたらどうなるか……。
わかっておるのか!えっ、おいっ!!」
この村長、自分の怒りに怒りが増していくタイプのようで、唾を飛び散らしながらユマに詰め寄ってくる。
「はい、わかっております……。」
小さい体を更に小さくして応えるユマ。
「わかっておるなら何とかしろ!!」
勢い込んで村長は、食卓をばぁんと叩いた。
その音にユマの体が、ぴょこっと、跳ね上がる。
ううっ、なんであたしがこんな目にあうんだろう……。とユマがぶつぶつ呟いていると、くすくすと笑い声が聞こえてきた。
笑い声の主は、村長のひとり息子である。ユマの反応が余程おかしかったのだろう、 笑い声が大きくなっていく。
「おいっ、真面目な話なんだぞ!」
不意に茶々を入れられた村長、息子を怒鳴るが、ツボにはまったらしく笑い声は止まらない。
「父さん、父さん。こんな小さな子に言っても分からないよ。それにかわいそうだろ!」
笑いながら言われて拍子抜けしたのか村長。
「もういい!」
そう怒鳴ると、おもむろに席を立ちあがる。
「いいか!親父が起きたら、わしの所に連れて来い!」
ユマに指を突き付け、そう言うと、ドカドカと足を踏み鳴らして食堂から出て行った。
ようやく開放されたユマ。早速、食卓の上に乗った朝食に手を伸ばす。
「ねぇ、お嬢ちゃん。お父さんはどうしたの?」
村長のひとり息子である。
きょとっ、とパンにかぶり付いたまま目を上げるユマ。口の中の物をモグモグと咀嚼(そしゃく)し、ゴクンと飲み込む。
「ああ、お父ちゃん?お父ちゃんなら、まだ寝てるよ。たぶん昼過ぎまで寝てるんじゃないかなぁ」
「もう一人の黒い人は?」
「もう一人の黒い人?ああ、クァン・シュレイのことね。そうねぇ、昨日は戻ってないんじゃない、あたし寝てたから分からないけど、たぶん、そうだと思う。」
「いつも、そうなの?」
「うん。いつも、そうなの。」
そう言うと、ユマは朝食の続きに取り掛かる。
その様子を見ながら村長の息子は、うんうんと頷きユマを見る目に同情の色が加わった。
「大変だねぇ、君も……。」
いい人である。
バツが悪くなったユマ。
「そ、それよりさぁ、なんで白虎を生け捕りにしなくちゃいけないの?村長さんの言うとおりの魔物なら手段を選ばず殺しちゃった方がいいのに。」
話題を変えてみた。
「えっ、生け捕りだなんて言ってないよ。」
「だって、傷つけるなって言われたもん!」
「ああ、それはねぇ、毛皮を傷つけてもらいたくなかったからさ。白い虎の毛皮なんてのは、とても珍しい物だからね。」
「じゃあなに、毛皮欲しさで白虎を退治してくれって頼んだのぉー!」
「いやぁ、もちろん村の安全のために頼んだんだけどね。お嬢ちゃんは、この国のお姫様が近々結婚するって話は知ってる?」
「知らない。」
「その結婚祝いに白虎の毛皮を献上すれば身分を引き上げてくれる、なんて父さんは、そう思っているのさ。」
「へぇ、結構(けっこう)出世欲があるんだ!だから、あんなに怒っていたのね。」
「父さんも、もう少し身を慎(つつし)んでいたら、この国の重鎮(じゅうちん)の一人には成っていただろうに……。」
「ねぇ、それってどういうこと?」
「ああ、昔、僕らツヌニハ家は代々城勤めの文官の家柄だったのさ。だけど父さんが変な欲を出しちゃったもんだから、左遷されて辺境のこの村に流されて来たんだよ。」
「ふうん……。」
「だからさ、今でも異常なくらい中央に未練があるんだ。だいたい、あの白虎だって直接被害が出たわけでもなし、それを仰々(ぎょうぎょう)しく触れ回っちゃって、バラム・キツュの魔物だ!なんて。」
村長の息子は父親に対して、なにやら感情的なものがあるみたいだった。
「ねぇ、あなたお名前は?」
「ああ、まだ名乗って無かったね。イキ・ツヌニハ。イキって呼んでくれていいよ。」
「では、イキさん、お願いがあります。今回の白虎退治、やめてもいいでしょうか?」
「へっ?」
面食らう村長の息子。
ユマは、昨夜の白虎を思い返していた。あの時、殺されていても不思議はなかった。それを見逃してもらった感じ、知性が感じられた。
ユマには、身近に思い当たることがある。生け捕りならまだしも生皮を剥ぐなんてことは、とてもできない。
「やめよう、やめよう、そうしよっと。」
ひとり納得しているユマにあわてる村長の息子。
「ちょ、ちょっと待って、やめてもらったら困るよ!」
「大丈夫。前金は、ちゃんと返すから。」
「いや、そうじゃなくって、やめられたら他に代わりもいないし、そうだ、ほら、大体お嬢ちゃんが勝手に決めちゃったら、お父さん怒るでしょう。」
「心配ないって、よくある事だし、最初っからあまり乗り気じゃなかったし……。」
「でも、ほら、なんというか……。」
言いよどむ村長の息子を不思議そうな目で見上げるユマ。
「なんか、どうしても白虎を退治してほしいみたいね……、お父さんに怒られるから?
いえ違うわね、さっきの感じじゃあ、お父さんに頭が上がらないって感じじゃあなかったもん……。
あっ!わかっちゃった。あなたも毛皮が欲しいんだ!ねっ、そうなんでしょう?」
黙って頷く村長の息子。
「まったく。蛙の子は蛙とは、よく言ったものだわ。」
「ち、違うよ!僕は、出世の為とかで毛皮が欲しいんじゃない。ただ……。」
「ただ?」
「もう一度、あの人に逢うために……。」
「どういうことよ、それ?」
季節は、春へと差し掛かった頃だった。
なだらかな丘陵(きゅうりょう)の上に建てられた王城の南方は、草花の咲く緩やかな 降(くだ)り斜面となってベンガル湾を一望できる絶好の場所である。
日毎に暖かくなっていく心地良い風に草花は揺れ、辺りには芳しい香りが漂っている。
午後をまわって日差しも穏やかになった頃、美しい黒髪を風に遊ばせて、ひとりの少女が佇(たたず)んでいた。
まだ幼い瞳は赤く、頬には涙のあとが残っている。
一陣の風が吹いた。
舞い上がるタンポポの綿帽子たち。
一瞬目を閉じた後。吹き去った綿帽子たちから現れたような、そんな錯覚を覚えさせて彼はやってきた。
少女とそう年も変わらないような少年である。
少年の瞳も赤かった。
無理に微笑みをつくり迎える少女。
少年は、少女から顔を背(そむ)けている。
強気な少年の横顔からは、様々な感情が見てとれた。
怒り。
憎しみ。
悲しみ。
そして今、生まれた時からいつも一緒だった、大好きな女の子と別れなければならない寂しさ。
少女は、言葉を迷っていた。
少年は、必死に涙を堪えていた。
最初に口を開いたのは、少女であった。
「わたしは……、わたしは、ずっとあなたのお嫁さんになると思ってた。あなたのお嫁さんになるって決めてたの……、わたしをお嫁さんにしてくれる?」
少女の言葉に少年の瞳から堰を切ったように大粒の涙が溢(あふ)れ出した。
少女の瞳にも涙が溢れた。
しばらく二人で泣いていた。
もう一度、強い風が吹いた。
その風に励まされ、少年は涙を振り払った。
そして走った。
草花を舞い散らし。
丘陵に少女の声がこだまする。
「きっと迎えにきて、わたし待ってる。ずっと待ってるからー。」
遠ざかる少年の背中は、舞い上がったタンポポの綿帽子たちに包まれ、そして見えなくなってしまった。
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