[ユマの冒険] 
作/画:たいぎ



ここにひとつの王国がある。

 輝く水を意味するカキシャという言葉を名に持つ大河の河口西岸にあって、建国の英雄であり現王族に連(つら)なる祖の名を冠(かん)したカバルカン王国である。

 今、この国では現国王アカブナプ・チョイマ・カハ・カバルカンの一人娘、アムジカ・チョイマ・カハ・カバルカンとカバルカン王国とはカキシャ河を挟んで対岸に領土を持つ大国、トゥラン・スイバ王国の第三王子、ナナワトル・ブクブ・トク・トゥラン・スイバとの婚約の儀が盛大に執り行なわれていた。

 カキシャ河沿岸地域は十数を数える大小様々な国々が栄えており、微妙な政治体制によって均衡が取られている。それ故、この婚約には政治的な意図が含まれているであろうことは国民の誰もが承知しているのだが、大国トゥラン・スイバとの勢力図を考えると玉の輿であるのも間違いなく、カバルカン王国は祝福ムードに包まれていた。          

 夜。満面の星空に銀色の三日月が浮かんでいる。

それは、カキシャ河の川面に良く映()えて、その名が付いた由来が分かるようである。城下では、祝賀に伴う久しぶりのお祭りに人々が賑わって、その熱気が夜空を明るく染めているようだ。

 そんな夜。

 王城の美しく飾り立てられたテラスに美しい少女がひとり、ふとすれば曇りがちになる蒼い瞳を星空に投げかけている。

南国特有の薄手の衣ながら気品ある作りの衣装を身に纏(まと)い、なだらかな黒髪は、川面から流れてくる優しい風に揺れていた。

 ここにも城下の喧騒は届いてくる。

 少女は、軽く唇を噛んだ。

「なにが、そんなに楽しいのかしら……。」

 ふと、悲しげに呟(つぶや)いた。

 そして溜息をひとつ。

 アムジカ王女、今年数えで十六になる。

 この少女にとって不意に訪れた縁談話は、決して望んでいたものではなく、かといって拒否する権限などあるはずもない。

 ひとり時の流れに身を任(まか)すしかなかった。

「どうかなされましたかな?」

 不意に声を掛けられて、はっとなる。

 振り返ると、おもったより離れた位置にその人物は立っていた。

 漆黒を纏ったような姿である。テラスの影に半ば隠れていて、ひどく朧気(おぼろげ)に感じる。

「このような場所で、独り溜息を落としているとは……。この度の縁談話、あまり乗り気がしませんかな?」

 嗄(しゃが)れた声である。無理に潰しているようでもあるが、いずれにしても酷(ひど)く聞き取りにくいのは変わりない。

「誰?」

強い口調だが少し怯(おび)えのこもった声。

「おおっ、これは失礼を。たかだかトヒル(ぶらつく者)にございます。バラム・キツュの森より這い出てまいった次第(しだい)……。」

怪訝(けげん)そうな表情のアムジカ。

「バラム・キツュの森!?昔語りによく出て来る、あの?」

「その地にてございます。」

「そう、あのような土地に人が住まうとは、思いも寄りませんでした。

されば王城などは、さぞかし物珍しいことでしょう。ですが今宵、暫時無礼講(ざんじぶれいこう)とはいえ、このような所まで立ち入るのは感心しません。はやくお帰りなさい。」

 柔和(にゅうわ)な物言いながら尊(たっと)き血の威厳を感じさせている。

トヒルは、言われて怯(ひる)むでもなくアムジカの方へと近いてきた。

 灯りの下にボロを纏った汚らしい小男の姿が曝(さら)された。アムジカより頭一つ背が低い。

「然(しか)しながらアムジカ王女。このトヒル、姫様への御言伝(おことづて)を申し付かっておりますれば……。いかがいたしましょう? 不要なれば、お言いつけ通り帰るといたしますが……。」

 どことなく道化じみた振る舞いでアムジカの前まで歩み、そこで立ち止まった。

 下品な笑みを浮かべて、じっとアムジカを見上げている。

「ことづて? 言伝とは、それはいずれの者からなのでしょうか?」

 不快さで少し後ずさりしながら聞き返す。

 トヒルは、アムジカの反応を確かめるように口を開いた。

「イキ。という吾人(ごじん)から……。」

 その名を聞き、はっと顔をあげるアムジカ。

「そ、それは、まさか……、ツヌニハ家のイキのことでしょうか?」

「そのように伺(うかが)っております。」

 アムジカの表情が明るくなった。

「ああっ覚えて、覚えていて下さったのですね……。」

 満面の笑みが広がり、瞳は潤んでいる。

「それで、なんと、イキからの言伝とは、なんと申されておりましたか?」

 急かすアムジカに右手をかざし制す。

「内密にとのお言いつけなれば……。」

 トヒルの言葉に辺りを見回し。

「そ、そうね、分かりました。こちらへ。

私に付いて来て下さい。」

 そう促(うなが)しアムジカは、トヒルを伴(ともな)い足早に城内へと消えていった。

 

 

 今と時も場所も異なる世界がある。

 世界の中央には東西に広がる大陸があり、大陸を中心に島々が点在している。

 中央の大陸には様々な民族が多種多様な国家を作り上げており、それらを取り囲む大海原には果てがない。

 そんな世界である。

 中央大陸の南東にカキシャ河はある。山がひとつ入りそうな川幅の大河は、北方にある霊峰山脈の雪解け水を源流に延々と遥かな旅をして、河口のベンガル湾へと流れ込む。美しい清水に水産物が豊富なカキシャ河東西沿岸には、多くの民族が集まり十数の国家が乱立していた。

 そのひとつ、カバルカン王国は、カキシャ河西岸にあって、北に南国特有の広大な密林、南にベンガル湾を擁(よう)した肥沃な国土を持つ豊かな国だが、西にドアス王国、ニランガ王国というふたつの王国があり、カキシャ河対岸には大国トゥラン・スイバ王国という非常にあやうい位置にあった。

 カバルカン王国、王都近郊。

 名も知れぬ山々の麓(ふもと)に広がる密林。

 真夜中。蔦(つた)の這う密林は深く、冴え冴えとした月の明かりも容易には届かない。

 闇である。

 その闇にひとつ明かりが灯った。

 ゆらゆらと揺れる明かり、どうやらランプのものらしい。

「この辺りのはずなんだけど……。」

 ランプの主は、まだ年端もゆかぬ少女であった。 

 長袖の貫頭衣(かんとうい)に袖が広く裾の短い上着、厚手のズボンと革製の長靴、それに耳当ての付いた帽子を被って、背には背負い袋、腰のベルトには短剣を佩(は)いている。

一見、男の子に見える装いで、ロバの背に荷物と一緒に背負ってもらっていた。

 このロバも少し風変わりで、真っ白な体毛に大きめの頭、瞳も大きく異様だが、知性が感じられる。

 どちらも、時間と場所を考えると異質であった。

「さ、さすがに夜になると気味が悪いな、どうしよう迷子になんてなっちゃったら……。」

 少女の独り言。

 やはり夜の闇は怖いらしく、少し声が震えている。

 名も知れぬ虫の声、ランプの揺れる明かりに草木の影は際立ち、様々に形を変える。

 不気味な事この上ない。

「おっかしいなぁ、どこにいっちゃたんだろう。」

 風の悪戯に鳴る梢のさざめきに、いちいち驚きながら呟(つぶや)いていると……。

 突然。爆発音が耳を劈(つんざ)いた。

「うわっきゃあ!」

 驚く少女とロバ。

あたふたと一頻(ひとしき)り驚き、ようやく落ち着いた少女。

その表情には満面の笑みが浮かんでいる。

そして、おもむろにロバの耳を引っ掴(つか)むと爆発音した方角を指差した。

「あっちだぁ、走れぇチル!」

 少女が言うや人語を解したのか、ロバは少女の指差す方向へ凄まじい勢いで駆け出した。

 足場の悪い密林の中を飛ぶように、ぐんぐん勢いを増していく。

 とてもロバとは思えない走りである。

 暫(しばら)くして密林が開けた。

 正面に岩肌の露出した絶壁が見える。どうやら小高い丘の麓のようだった。

 その岩壁を背に巨大な白い虎が男二人と対峙していた。

 虎は、純白の毛皮にキラキラと月明かりを反射させて、一種異様な雰囲気を辺りに醸(かも)し出している。

 男二人は、その巨大な白虎(びゃっこ)を取り囲むように向かい合っている。

 ひとりは、東洋風の服装に不思議な紋様を施した筒布を背負い、抜いた大振りの太刀を手持ち無沙汰に肩に担いでいる。余裕を見せた態度に、頭に巻いた太めの赤いバンダナが印象的な男であった。

 もう一方の男は、すらりとした長身に黒で統一した革製品を着込み、銀製の十字槍を得物に白虎と戯れているかのような仕種をみせている。黒く長い髪に真っ白な肌と、妙に病的な感じがした。

 少女は、その光景をしばらく眺めていたのだが、やおら不機嫌な顔になりバンダナの男の方へ馬足を進める。

「こらっ、これからどうすんの?」

 少女の声に気付き、男が振り返る。

 この男、名前を鴇珠(ときたま)ゲンジという。

「なんだユマ、帰ったんじゃなかったのか?」

 ゲンジは少女に笑いかけた。

「そんなことはどうでもいいの!いい、白虎は生け捕りが条件なのよ、わかってんの?」

 少女の名は鴇珠ユマ、二人は親子である。

「何言ってやがる。見てみろ。今丁度、追い詰めたところじゃないか。」

 ゲンジは白虎の方へ、顎(あご)をしゃくってみせた。

 白虎は、先程から落ち着きがなく、見方によっては脅えているふうにも見える。

 良く見ると、尻尾の先が煤(すす)けていた。

 ただ、やたらと大きい、男二人より頭二つ分増さっている。人が数人束になっても押さえ込むのは無理だろう。

 ユマは腰に手を当て、ゲンジを上目遣(うわめづか)いに睨む。

「だから、これからどうすんのって聞いてんの!」

 うっ、と口ごもるゲンジ。

「だいたい、なんで虎の尻尾が焦げてんのよ、段取りがバラバラじゃない!」

「うるせぇよ、そうそう上手くいくわけねぇだろ。」

「段取り通りやらないから上手くいかないんでしょ!」

「殺すか……。」

 ぽつりと言ったのは、もう一方の長髪の男である。

 名前をクァン・シュレイという。

 その言葉に白虎がぶるっと、振るえた。

 それを一瞬、怪訝そうにユマは見たが、さして気にするふうでもなく。

「殺してどうすんのよぉ!生け捕りが条件だって言ってるでしょー。」

 言いつつシュレイに詰め寄る。

「だからって逃がすわけにもいくめぇ、後で被害が出たりしたら目覚めが悪いからな。」

 ゲンジは、そう言うと太刀を白虎に向け正眼(せいがん)に構えた。

 シュレイもそれに同調するように動く。

 ユマが止めに入る暇(ひま)、先に動いたのは白虎であった。

 白虎がゲンジに向かって飛び掛ってきた。

(せん)をとられ、慌てて無理な体勢から太刀を振るう。だが太刀は空を切り、白虎がユマに向かっている。

「ユマっ!」

 叫ぶゲンジ。

 慌てるユマ、目線の高さに白虎の前足が振り上がる。

「うっひゃあああっ!」

 声を上げロバにしがみつく。それと同時に大きく跳び退(すさ)るロバ。

ロバの引いた間をシュレイが詰める。

 十字槍を突き付けられて、怯んだ白虎が仰け反る(のけぞる)ように立ち上がり咆哮(ほうこう)する。

 その間にゲンジは懐(ふところ)から縄束を取り出すと分銅の付いた縄先を白虎に放つ。縄は白虎の首から右前足へと絡みついた。

地団駄(じたんだ)を踏んで、もがいている白虎。

「くそぉ、おとなしくしろって・・・。」

 必死で縄を引き絞(しぼ)るゲンジ、だが白虎の力は凄まじく踏ん張りが効かない。

 そこへシュレイが白虎の首元へ槍床を突き立てる。

痛みで激しく振り仰(あお)ぐ白虎。

その勢いでゲンジは縄を手放してしまった。

縄が宙を舞い大きく撓(しな)る。

間が悪いことに、その縄がユマの体に絡(から)みついてしまった。

「きゃあああっ!」

 暴れる白虎に縄が引っ張られ、ロバと共に引き倒されるユマ。

 倒れ込んだ場所は白虎の鼻下。

 仰向け倒れているユマ。

見下ろす白虎。

 ユマと白虎の目が合った。

それを合図に白虎が大きく振り被(かぶ)る。

 だめだ。身を硬くするユマ。

 すると次の瞬間。白虎はユマではなく、絡みつく縄を噛み千切るとユマを跨(また)いで、そのまま密林の中へ走り去っていった。

「ユマっ、大丈夫か!」

 慌てて駆け寄るゲンジ。

 呆然(ぼうぜん)と白虎を見送るユマ。

「大丈夫みたい……。」

 自分に絡まった縄を解きながら答える。

「で、どうする?」

 ぽつりと言ったシュレイ。目線は、白虎を追っている。

「ちょっと殺せねぇなぁ、いろんな意味で。」

 感慨深(かんがいぶか)げにゲンジが言った。

「捕まえるのも今は無理っぽいね。」

 ユマの脇にロバが擦り寄って、一声唸(うな)った。

 



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